日本で最も有名な洞窟探検家として知られる吉田勝次(よしだ・かつじ)さん。
2016年制作の「クレイジージャーニー」の映像作品に出演したことがきっかけで、ブレイクしました。
そして2025年には、ラオスにある人跡未踏の洞窟を探検した事により植村直己冒険賞を受賞、世界にもその名が知られるまでになりました。
そんな吉田さんですが、子どもの頃に一家離散という壮絶な経験をされていることをご存知でしょうか。
この記事では、洞窟探検家・吉田勝次さんが経験した一家離散について解説します!
吉田勝次の経歴・プロフィール

- 名前 吉田 勝次(よしだ かつじ)
- 生年月日 1966年12月19日
- 出身 大阪府大阪市東住吉区
- 職業 洞窟探検家兼洞窟写真家/(有)勝建代表取締役/(株)地球探検社代表取締役/一般社団法人日本ケイビング連盟会長/洞窟探検プロガイドチームCiao!代表/日本探検チーム、J.E.T代表
ものすごい経歴ですが、洞窟探検としてだけでなく、20歳という若さで建設会社を設立して社長に就任されています。
そして洞窟探検家として世界的に有名になった現在も、地元密着企業としてお仕事をされているようです!
自由で順風満帆な人生のように思えますが、実は吉田さんは過去に一家離散という過酷な経験をされていました。
17歳で一家離散を経験

吉田勝次さんのお父さんはもともと蒸発癖があったということですが、とうとう17歳の時に一家離散という壮絶体験をします。
ある日、高校から帰宅した際に父親が「お前も大人になったら俺の気持ちがわかる」と勝次に言い放ち、家を出ていってしまう。
父親の蒸発に精神的ショックを受けてしまった母親は睡眠薬を飲んでしまい、救急車で運ばれてしまったこともあった。父親が蒸発してしまい、母親もショックを受けた状態になり、勝次は一家離散を経験する。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%8B%9D%E6%AC%A1より)
勝次さんは高校中退したあと、アルバイトで生活費を稼いで生計を立てていたそうです。
17歳とうとても多感な時期に、ものすごいご苦労をされてきたのですね。
一家離散という体験が鬼メンタルを作った

高卒でアルバイト、というと世間の風は冷たいことは想像に難くありません。
そしてある時、吉田さんはこう思いました。

10代の終わりに急に悔しくなったんです。どうせダメな奴だろうと思われている自分がそうでないことを示したかった。
(文春オンラインhttps://bunshun.jp/articles/-/1525#goog_rewardedより)
でも何をやったらよいかわからず、色々な職業を転々とし、最後に建設業に就いたようです。



水商売や飲食業をやり、体力さえあれば何とかなった建設業に飛び込んだら、ちょうど猫の手も借りたいバブル期で仕事はいくらでもあった。
部活の10倍キツイ肉体労働に3年間1日も休まず打ち込んだことで、心身が相当鍛えられましたね
(文春オンラインhttps://bunshun.jp/articles/-/1525#goog_rewardedより)
太陽の光が届かない真っ暗闇の洞窟を開拓するには、いうまでもなく強靭な精神力が必要です。
この一家離散と高校中退というどん底から必死に這い上がった経験が、吉田さんの鬼メンタルを作りあげたのでしょうね!
この赤と青の探検服がトレードマークの吉田さんの洞窟探検を見ると、胸がドキドキして勇気をもらえまず!
ぜひ、みなさんも吉田勝次さんの洞窟探検の放送をご覧くださいね!
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